ある日、造船の技術提供をしていた時に知り合った 現地の方の自宅に招かれ、招待してもらったお礼に 振る舞ったのが餃子でした。 会話がうまく交わせず オーバーアクション気味な身振り手振りで「餃子は家族や仲間みんなで楽しめる日本のソウルフードなんだ」と伝えました。 すると、想像していたよりも みんなが喜んでくれました。 それが、日本のソウルフード『餃子』が「世界」へのコミュニケーションツールになるかも知れないと感じた最初でした。
日本に帰国する頃には「餃子屋構想」ができあがっていましたが、まずは接客の基本を学ばなければ…と、 帰国後、barや居酒屋で接客のノウハウを学びました。 1998年 四国・丸亀の歓楽街の小さな屋台でその構想は現実のものとなりました。
酢醤油しかなかった餃子の食べ方に「すだちコショウ」で食べる新しい餃子スタイルを作った寺岡餃子は 当時かなり斬新で、新聞や雑誌、テレビなどのメディアに取り上げられて瞬く間に人気店になりました。 その人気が大阪難波・東京池袋にあるナムコフードテーマパーク「餃子スタジアム」へと届き、ついに日本の中央へ進出できるチャンスを手に入れることができました。
東京に進出してからは「ズームイン朝」で取り上げて頂き、全国メディアへ出演する機会が増えました。いろんな方との出会いやご支援もあり、全国的な通販会社との取引も始まり、四国丸亀の屋台から始まった私の餃子は日本全国で食べてもらえるようになりました。
人の縁で繋いでもらってきた歴史。次に訪れたのは、海外への縁。 東京で知り合ったカチャブラザーズに「バンコクに来ないか?」と誘われたのが「世界」へのキッカケとなりました。2013年8月。話の大きさに戸惑いながらもフランチャイズ「契約」が行われ、同年11月、バンコク中心にあるモール内に「TERAOKAーGYOZA」がオープンする運びとなり、これが世界への第一歩となったわけです。
歴史の始まりは、15年前のセブ島で描いた夢から。国も違えば、言葉も文化も違う人達にでも「餃子」というものがコミュニケーションツールとして魂を伝えられるものになったのです。
日本初世界進出といういう点では「ラーメン」の方がなじみ深いかもしれません。まだなじみの薄い餃子だからこそ、もっと面白い事も出来る気がしています。
メイドインジャパン餃子で世界を笑顔にしていきたい。これが今の私の夢。世界へのチャレンジ第一歩なのです。
四国丸亀寺岡商店
代表取締役 寺岡勇一 TERAOKA YUICHI